■ DNA の生存本能で、
『正義』 について考えてみる (1/6)








ふき が、「自分の中の DNA の怖さ」
について 考えこんでいると…


ミューラー が、
こんな話をはじめました。




「善悪」 の 話のついでに、

「善」 の延長である、

『 正義 』 に ついても

ちょっと ふれてみませんか?





『 正義 』 とは また、

ずいぶん仰々(ぎょうぎょう)しい
話に なって来たなぁ、と

ふき は ちょっと驚きましたが…






同時に 興味も わいたので、

ミューラー の提案に
乗ってみることにしました。





これから お話しする 『 正義 』 も、
それを形づくる根底にあるのは、

『 DNA の 生存本能 』
に すぎません。


ただし、『 正義 』 には、

「損得」 「敵・味方」 「善悪」 とは、
決定的に違う点
が 1つあります。





「決定的に違う点」…

と 言いますと?






それは、

「多くの人にとっての、
得・味方・善」
でないと、

『 正義 』 とは呼ばれない

という点です。





逆に、それを支持する人が
少ない場合は、

『個人の損得』 や 『個人の価値観』
と 呼ばれるに とどまります。






「言われてみれば、そうかもねぇ」





ネック が 感心して、
うなずいています。





ただ、それ自体は、
自然なことなのですが…


行き過ぎると、

その主張を支持する人々の、
「人数の 大小のみ」 によって、

その正義が正当かどうかが
決定されてしまう


という、困ったケースも
発生してしまいます…





ん?

『 支持する人の多い意見を、正当 』
にして、どうして困るんですか?

正しいから、多くの人が、
その意見を支持するんですよね?


たしか、それが
「民主主義の良さ」 だって、
聞いたこともあるし…




ふき の 疑問に、

ミューラー が ちょっと
悲しそうな顔をしました。





いえ、残念ながら、

必ずしも 『 多数派 = 正しさ 』
というわけではない
のです。









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